トヨタ東日本の工場見学

泉地区協パークゴルフ愛好会では、毎回、パークゴルフ例会を実施している、大衡万葉パークゴルフ場脇にある「トヨタ東日本」の工場見学を「古川地区協パークゴルフ愛好会」と一緒に企画し、11月29日(木)、午後1時30分から午後3時まで見学を行いました。見学会には泉地区協、古川地区協、宮城野地区協とそれ以外、親交のあるパークゴルフ愛好者44名で行われました。見学に先立ち「結ホール」で担当者から見学にあたっての注意事項の説明があり、2班に分かれマイクロバスに乗りいよいよ工場に、最初見学したところは車に取り付ける部品の準備部門でした。ここでは必要は部品棚にランプが点灯し担当者に知らせ、担当者は確実に部品を運搬トレーに入れるとボタンを押し部品収納を完了させるというものでした、その後、組み立てライン、検査ラインを見学しました。特に、組み立てラインの溶接ラインではロボットが完全無人の中で火花を散らしながら溶接している迫力にびっくりしました。最新の工場は、工場自体が大きなシステムでプログラムで動いている感じでした。見学終了後、担当者より多くの質問に回答を頂き、トヨタ方式の最先端工場を見学し充実した一日となりました。

泉地区協  佐々木清一

 

遊歩会(泉地区協)吉岡宿を歩く

泉地区協の愛好会「遊歩会」は、11月8日(木)、16名の参加者で「殿、利息でござる」でご存知の吉岡宿を7K程ウォーキングしました。旧奥州街道沿いの「一里塚」を見て伊達政宗の三男で吉岡城主「伊達河内守宗清」を奉ってある「天皇寺」を見学、ここでは、大和町指定有形文化財で、国宝「瑞巌寺」に次ぐ古い建物である「庫裡」を親切なお爺さんに説明を頂きました。「庫裡」は昔の台所で土間の中にカマドや井戸等がありここで食事が作られていたのかと感心しきりでした。奥州街道をさらに進み、吉岡宿本陣跡にある案内所で困窮していた「吉岡宿」を立て直した、穀田屋十三郎と管原屋篤平治の説明を受けました。この危機を救ったのは1千両(現在では3億円)を集め、仙台藩にこの一千両を貸し付け運用することとしたことです、この利息で得たお金を「吉岡宿」の住民全員に配り人々の苦しい生活を救ったとのことです。ここで驚くことは、穀田屋と管原屋の2名の他7名の篤志家で千両を集めましたが、その中身は、約半分が一家離散覚悟での借金だったそうです。この時代に借金して運用益で宿の再生を図ったとは驚きです。この会に参加した会員は一言もなし。

泉地区協 佐々木清一

 

泉地区協「春季全体交流会」模様

泉地区協では、去る6月14日(木)、イズミティー21を会場に、会員73名の参加で「春季全体交流会」を開催しました。交流会第一部は講演会、第二部は交流会の内容で行われ、第一部は「戊辰戦争の真実」という演題で、木村紀夫氏(仙台郷土史研究会会員・仙台広瀬倫理法人会会員・心のふるさと創生会議常務理事)より講演を頂きました。戊辰戦争とは何だったのか? 木村さんの講演を聞き、支倉常長の「遣欧使節団」に見る、仙台藩の先見性のある、国のあるべき姿、それは、真の王政維新実現と会津を守り、奥羽諸藩の平和を守るという考えに対し、薩摩・長州藩が進める考えの違いから勃発したとのことです。木村さんは、この講演で仙台藩及び奥羽からの視点で「戊辰戦争」を講演されており、隠された真実に大きな驚きを覚えました。多くの国民は薩摩・長州連合による明治政府樹立は勝者の論理として美しく取り上げられていますが、敗者側から見た「戊辰戦争」について、木村さんは「仙台藩は賊軍に非ず」と講演されていました。結果的に武力装備の差等があり敗れてしまいますが、その結果、中央政府から計り知れないほどの、仙台藩及び奥羽諸藩へのいじめにも等しいい差別政策が行われました。山林没収、城の取り壊とその跡地に刑務所建設、北海道開拓命令、藩士家禄引き下げ等々です。今も仙台では伊達政宗の居城「若林城」の跡地に刑務所が作られており差別政策のあとが見て取れます。特に興味深かったのは「戊辰戦争」で殉職した武士を祀った「弔魂碑」が瑞宝殿脇に建立されていますが、後に「弔魂碑」の裏に「公衆トイレ」が作られ「弔魂碑」にオシッコをかける様な形となっており、中央からの大きな力が働かないとできないことと講演されていました。第二部は同じくイズミティー21内のレストランで交流会に入り、冒頭、来賓の阿部県協副会長より挨拶を頂き、菅井顧問の乾杯で飲み会に入りました、会場は定員ギリギリの状態でしたが6名の新入会員の参加もあり、大いに盛り上がり盛会に終了しました。参加した会員からは講演会の内容、交流会会場とも大変良かったとの声を頂きました。

泉地区協   佐々木清一