「長崎平和フォーラム」に参加して(報告)

今年が「戦後・被爆80年」という節目の年ということもあり、これまで一度も参加の機会がなかった情報労連主催の平和4行動の一つ「2025長崎平和フォーラム」(8月7日~9日)に参加してきました。
8月7日、仙台から飛行機、地下鉄、鹿児島本線、西九州新幹線を乗り継ぎ約五時間かけて長崎へ。
当日は南九州地方に線状降水帯が発生し、空路、鉄道を含め大幅にダイヤが乱れ、参加者の多くが会場に辿り着けずに一日目の会場となる長崎県立総合体育館の座席は空席が目立ち前途多難なスタートとなりました。
一日目は開会セレモニーの後、退職者の会「山田寿美」様から被爆体験の講話、そして参加者全員で原爆資料館を見学し休会。

二日目は旧城山国民学校校舎、平和公園などの被爆遺構・碑巡り、万灯記入や折鶴作成、そして連合主主催の平和ナガサキ集会に参加。
集会では89歳になる女性被爆者の訴え、長崎大学核兵器廃絶研究センター長「吉田文彦」様による講演「国際政治と核兵器の現状」、若者からのメッセージなどナガサキからの平和アピールを参加者全員で行いました。

最後の三日目は、九州地方への線状降水帯の影響で当初予定していた「電気通信労働者原爆被爆死慰霊式」が中止となり、止む無く帰途に就くことになりましたが貴重な体験をすることができました。
この3日間、様々な行事に参加する中で特に印象に残ったことは、直接目で見て耳で聞いた「長崎の原爆被害の悲惨さ」、「原爆被害は本人だけに止まらず子供や孫にまで影響を及ぼし続けていくことの恐ろしさ」。
89歳になる女性被爆者の「絶対に戦争は繰り返してはいけない、平和と命の大切さを子供たちに伝えていきたい」との悲痛な叫び、そして高校生平和大使の「ビリョクだけどムリョクじゃない」との力強い言葉でした。
あらためて今の時代を生きている私たちが長崎や広島で起きた原爆被害の実相を次の世代へ語り継いでいくこと、そして「核兵器廃絶、反戦・平和」の声を出し続けていくことの重要性を知る貴重な体験となりました。


私自身、この宮城の地にあっても様々な機会を通してその役目を果たしいければと思います。
最後に、この貴重な機会を与えて頂いた情報労連とNTT労組退職者の会中央協議会に心から感謝申し上げます。

ありがとうございました。
NTT労組退職者の会 宮城県支部協議会
会長 阿部忠敏

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