宮城県支部協議会主催「第1回女性交流会」開催!!

 

7月12日(水)、NTT新青葉通ビル14Fにおいて第1回女性交流会が開催されました。※参加者数:24名(支部協2名含む)

女性交流会の開催にあたって、本間会長から「退職者の会の活動は男性中心の活動になっており、今後、女性の持っている感性を退職者の会の活動に生かしていきたいとの思いで、初の女性交流会を企画開催することとしました。情報交換などを通して組織の活性化につなげていきたい」との挨拶がありました。

その後、各地区協から新人の女性会員の加入が少なく女性会員の平均年齢が高くなってきていることや地域事情や組織人数などから各地区協毎の取り組みにバラツキがあることなど、地区協における現状についての報告がありました。

また、参加者全員で千羽鶴を作成し、8月の広島ピースフォーラム2017へ献鶴することとしました。

千羽鶴作成

 

 

 

 

 

 

今回、県支部協議会として初の女性交流会でしたが、各地区協の悩みや課題などについて共有化できたこと、各地区協の女性役員・会員皆さんとのコミュニケーションが図られたことなど、有意義な交流会となりました。

今回各地区協から報告された内容については、県支部協として課題整理しながら今後の活動に生かしていくこととします。

宮城県支部協議会 藤村順子 石田滋子

 

第23回学習会開催!!

講演中の川島先生

 

 

 

 

 

 

7月12日(水)、新仙台青葉ビル14Fを会場に学習会を開催。講師に仙台往診クリニック院長の「川島孝一郎氏」をお招きし、「おだやかに最期の日まで暮らすために」をテーマに講演をいただきました。※参加者数:62名

みんなが憧れる”ぴんぴんころり”で亡くなる人、いわゆる急死で亡くなる方は総死亡数のわずか4.8%。倒れて数日で亡くなる人を足しても全部で10%以下で、90%以上の方は緩やかに身体が衰え、半介助・全介助となって亡くなっていくのが自然の摂理とのこと。

だからこそ、この衰えを忌み嫌うのではなく、上手に付き合いながら生きていくことが私たち高齢者に求められている・・と、介護医療の実践体験から出てくるお話しにユーモアを交えて、予定時間を大幅に超えるほどの熱弁をふるっていただきました。

熱心に耳を傾ける会員の皆さん

 

 

 

 

 

 

私たちは必ず最期を迎える日が来ます。「どう死ぬかではなく、どうより良く生きていくかが大切」、「どんな身体でも豊かな人生には送れる」。この言葉をしっかりと受け止め、明日からの生活を日々大事に暮らしていくとともに、何かあったときは遠慮せず家族・友人・医者・行政の介護・身体障害者等の課・民生委員などに相談しながら、すてきに衰えながら最期を迎えることができればと思います。

今回大変お忙しい中、私たちの要請に応えていただいた講師の「川島孝一郎氏」に、この紙面を借りて、心から感謝と御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

また、猛暑の中、県内13地区協から参加いただいた役員・会員の皆さまにも感謝申し上げます。ご苦労様でした。

宮城県支部協議会 阿部忠敏

 

グランドゴルフ奮戦記

「シェルコム仙台」の画像検索結果

2017年6月7日仙台市泉区にあるシェルコム仙台で、県協主催による参加型レクとしてグランド・ゴルフが県内61人の参加で開催されました。気仙沼からは2名が上位を目指して参加。以下はその奮戦記です。

7日の払暁に気仙沼を車で勇躍出発。なにせ気分はもう上位入賞を勝ち取ったつもりである。気仙沼からの参加は2名。プライバシーと名誉のために仮に太郎さんと治郎さんとし特に実名は伏せる。

金成ICより高速に入る。超初心者の治郎さんは、ベテランプレイヤー・太郎さんのレクチャーを受けながらの東北道運転である。なにせマーカーの置き方も知らない。そもそもマーカーなる物の名前を知らなかった。あの100円みたいのはどう置くのか。球の前か後かも知らないのである。しかし、ビジナーズなんとかというのもある。治郎さんにはぴったり合い過ぎるほどの言葉ではないか。希望と闘志がみなぎる。ヨッシャーとアクセルに力が入り前のトラックを追い抜く。しかし現実は厳しく抜きつ抜かれつと言うよりは、抜かれつ抜かれつと言う感じで泉ICを出て、いざ試合会場のシェルコム仙台へGO。駐車場探しに迷い会場を2周して着いたものの、ナビのおかげでなんとかそう迷わずに行く。なんとナビの頭の良さ。われわれよりもいいなぁと感心しきりの前期高齢者2名の感想である。ナビさんどうもありがとうと一礼する。

会場に入り参加者の様子をまずは見ると、お~お~、ベテランのような人がたくさんいる。なにせMyクラブ持参である。いやこちらの太郎さんだってMyクラブ持参である。本人は漆塗りのものだと言う逸品である。クラブ対決でも負けてはいない。治郎さんにしたってビジナーズ対決では負けてはいないだろう。しかしよくよく見ればビジナーのような雰囲気を醸し出す人は誰もいない。むんむんと超初心者のにおいを発しているのは治郎さん位である。競争者がいないのでビジナーズ何とかと言う幸運が舞い降りればますます上位入賞、いや優勝という2文字も見えてくるではないか。こうなると治郎さんのライバルは太郎さん位である。

試合開始

狙うは何度も言うように二人とも優勝、もしくは上位入賞である。飛び賞などというせこいものや、ブービー賞などと言うのは全く持って埒外である。太郎さんの漆塗りのMyクラブがうなり、治郎さんの借りクラブがうなる。幾百万の敵ありとて我らのクラブがうなる。う~ん、なんとか朝鮮の放送みたいになってきた。

うれしいことに二人ともホールインワンを達成した。ゲームについて後は記すことがない。残念無念ながらないのである。

帰路は経費削減と気分転換のため東北道に入らず、仙台市内を通って利府街道へはいり、三陸道経由で家路へ。二人とも当初は無口であった。なにせ敗戦の将、兵を語らずと言うではないか。しかし男二人。いつまでも無口が続く訳はなく、結果分析が始まる。山口百恵も言っているが、あれが違う、これが違うと、めたらやったらと切り回す。ついに太郎さんは、「謀略で記録が間違い、計算が間違っているからこうなったんだ」と言いはじめ、レッツゴー三匹でもないのに警察に「訴えてやる~」とわめく始末である。治郎さんにしても「本部席の所に球が転がっていった時に、本部の女史の人が知らんふりをしてけったぐってくれればこんなことにはならなかったのに。二度もあったのになんと情のないことではないか」と身勝手にも心ひそかに恨む始末である。「会場の人工芝がよくない。われわれ田舎もんはでこぼこの所で練習しているから、あんな真っ平らな所での勝負には慣れていない。飛び過ぎて感覚がつかめなかった。」そうだそうだと治郎君も力強く同意。やがてと言うよりも、今にしてみれば急激に責任転化の方向に向かう。自分は悪くはないが、こうなったのは他人のせいだとして、自己を無罪放免にしようとする見苦しい魂胆である。いやいや同病相哀れむである。おかげで話しは盛り上がる。盛り上がるのだが、結果と言う現実が変更されることはない。なんと悲しいことだ。やがて話も尽きてくる。現実の厳しさに首を垂れるしかない。天候さえも曇天でますます気分は滅入る。

読者の声が耳の奥から聞こえてくる。「で、どんな結果。早く言えよ~。」すみません。

競技参加人数61人で、太郎さんは53位。治郎さん58位。ブービー賞へもう一息でした。

またまたすみません。参加者の名前を仮名にした訳もお分かりかと思います。

もうこれ以上は書けません。

( 文責・治郎さん )