太白地区協議会

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“太白地区協議会” への18件の返信

  1. 午後のお茶のあとの町内散歩を今日もしてきました。歩きながら「点訳での漢字の読み方」など、思い、想いながら・・・自宅に着いて辞書を広げて「確認」したり・・・と楽しんでいます。 一つ「労働組合」の「労」は単純に「ろうどうの ろう」だけでなく、「ねぎらい」「いたわり」など・・・つまり働きをねぎらう、いたわるの意もあるのか、などと改めてわかりました。「働くことをねぎらう集まり」として「労働組合」があったのか、力を集めて闘う組織だけでなく、互いに「ねぎらう」「いたわる」集まりなのか、と・・・。漢字は「送り仮名」で読みや意味が多少ありつつ変わります。労う → ねぎらう 労る → いたわる。 り は付かないということとか。広辞苑で広がる世界があることにも「点訳」の楽しみの一つです。

  2. 午後のお茶のあとの町内散歩を今日もしてきました。歩きながら「点訳での漢字の読み方」など、思い、想いながら・・・自宅に着いて辞書を広げて「確認」したり・・・と楽しんでいます。 一つ「労働組合」の「労」は単純に「ろうどうの ろう」だけでなく、「ねぎらい」「いたわり」など・・・つまり働きをねぎらう、いたわるの意もあるのか、などと改めてわかりましたる「働くことをねぎらう集まり」として「労働組合」があったのか、力を集めて闘う組織だけでなく、互いに「ねぎらう」「いたわる」集まりなのか、と・・・。漢字は「送り仮名」で読みや意味が多少ありつつ変わります。労う → ねぎらう 労る → いたわる。り は付かないということとか。広辞苑で広がる世界があることにも「点訳」の楽しみの一つです。

  3. 11日、投票してきました。娘が家に来たので、太白区役所まで車に乗せてもらい行って来ました。4階に投票所がありました。区役所の駐車場は工事中でしたので、送迎で出来ました。パラパラで混んでいませんでした。    二十日の夜が楽しみです。「不在者投票」など初めてですが、その「不在理由」にこだわることなく・・・・気楽に投票してきました。皆さんも如何でしょうか「立憲の勝利」をめざして。

  4. 昨日 投書した「文」のなかで、初めの組織内参議院議員のお名前「鈴木さんは、??等と、してますが、強氏」だったかなと・・・・ いささか不確かですが、ひとし つよし と最後が「し」でおわっていたように記憶がどうも不確実です。片甚さんは「片山甚市」さんです。これは確実です。

  5. 髙橋正幸です。七月九日、午後四時半、点訳の一括りを終えたので、午後の町内散歩をしてきました。間もなく参院選投票日、歩きながら過去にドナタに投票してきたかなと、思い出しながら・・・まず「鈴木さん お名前は??等さんだったかな??」次に『片甚さん』そして、「及川一夫さん」「石橋通宏さん」そして今回も「吉川沙織さん」と・・,よしよし思い出せた。ことに片甚さんは、特別の思い出がある。分会から県支部に引っ張り出されて、翌年が参院選で、片甚さんが出馬(バトンタツチだつたが)その前の全国行脚で宮城にも入った。丁度「これからは運転免許がなくちゃぁ」と第一自動車学校で普通免許を取ったばかりだった。阿部孟委員長は大変心配していたらしいが、新米運転手が、大場政典さんのマイカーを使わせてもらい初心者マークを付けて、県内を二日ほどかけて周って分会訪問をした。小牛田から松島に抜ける山道のヘアピンカーブで横滑りしたが、なんとか無事に乗り切って、その日の宿に着いた。同上していた大川地本委員長もキモを冷やした、と後で言っていたとか。トヨタのマークⅡだったが、その後県支部の宣伝車が同じ車種のワゴン車になった。その免許も既に返して数年になる。その後が我が及川一夫さん。乗用車はクラウンで運転者付きだったが、宮城から岩手・盛岡まで正幸が運転し、届ける事になり、我がカミサンを助手席に、届けに出向いたこともあった。      暑中見舞いを出す前に「暑中」となっているが、こらえて投票所に行こう。
     点訳も「聖書の同盟 アメリカはなぜユダヤ国家を支援するのか」という新書版のほぼ半ばまで訳し終えました。頭の血の巡りを良くするためにも、大いに役だっている? 暑いけれどクーラーを使って、快適に過ごせています。あと半年 頑張ると米寿に至ります。  また勝手に投稿させて頂きました。皆さんも酷暑を乗り切りましょう。

  6. 髙橋正幸です。数え年で88歳になりました。我が一生を思い返して記録しておくのも・・・と思い、社会に出てから、つまり電電に入ってから、父母から来ていた私信類を整理していたら、「昭和32年の春闘で、臨時社員の定員化を勝ち取り、それまで『正式に採用試験をしていながら、日給220円での甲種臨時作業員』だった我々・・・昭和31年以前からの採用者も含めて、試用社員という手続き的期間を経て、正社員になったことを知らせ、父母から祝いの返信がきているのを見つけました。31年の秋に局の中庭で分会の集会があり、ガンバローとやっていた記憶があります。この時はまだ員外で傍観者でしたが、翌年の春闘の要求課題として社員化が叶った訳でした。早々に組合員として加入したものと思いますが、入社試験をして「採用」されはずが「甲種 臨時作業員」だったとは、理不尽な時代でした。電通ジャンパーも着せてもらえず、現場出張には、先輩のを借りて着て測量作業などに出ていました。そのような経過も含めて「私史」を残したいと思っています。労組存在の意味、意義、役割り、社会的存在意味・意義など伝わるようにと。

  7. また高橋かと思われるかも知れませんが、テレビでフジTV問題を見ていて、労組というモノが出てきました。新規の加入者が大幅に増えたとのこと、まだこの事に関して「連合」が何か発しているというコトは出てきていませんが、社会的また会社的存在の意義、意味について世間のテーマとして出て来てはいませんが、会社組織の動きへの労組の働きや、果たしてきた役割りが今後、社会的にどう評価されてゆくのか、大きな興味があります。東北通信局分会長だった、佐藤寿助さんの、分会機関紙「おしらせ」での「公社人事についてのいろんな追及的記事」は、事業を人事の角度から問題提起をしてきていたことを改めて思い返します。労組用語?に「ダラカン」という言葉がありました。経営に関して追及してゆく対語的意味でした。今回の問題が企業内のパワハラ問題にどう対応しているか、どう対応しようとしているか、連合でも窓口を作り対応しようとしているようですが、兵庫県の知事の問題も自治労の対応はどうなのか、どうだったのか、知りたいものです。改めて労組の役割りを社会的に見直したいものと思います。

  8. 会員の皆さん、このホームページをご覧でしょうか。髙橋正幸です。お陰様でこの正月に87才を超えることができました。先日建築部で現役時代にお世話になった中鉢春男さんが101才まで頑張られたとの訃報を知りました。佐藤寿助さんも100才を超えられ、身近な方々が・・・・と。私も・・・と・・・・しかしこればかりはなかなか難しいことです。日々頭と体を「現役」同様に動かしていないと・・・・。点訳グループのお手伝いをして、そのつもりになっています。「心よく我に働く仕事あり、それをし遂げて死なんと思う」 石川啄木の詩ですが、啄木の詩集をいま点訳して日々をおくっております。日々を目的意識を持って生き過ごすことが、暮らしの「底」になるのではないか。現役の仕事ではありませんが「しごと」と心得て参りたいと思っております。

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