太白地区協議会

◊太白地区協ニュース◊

・・・・・・・・

  1. 太白地区のスケジュールを掲載しました。

太白地区協議会スケジュール

イベントはありません

“太白地区協議会” への27件の返信

  1. 新しい年を迎えましたが、キナ臭い新年ですね。お陰様でこの三日に米寿を迎えることができました。電通共済生協からお祝いを頂戴しました。足と目は衰えていますが「点訳ボランティア」を毎日の「張り」にして、もう少し生き延びられそうです。「与えることは幸い・・・」とキリストが言われたそうです。視覚障碍者のお役に立てることの働きが、生き甲斐、張り合いになっております。日中の約4時間ほどを点訳で、PCに向き合い「新聞の記事」「新書類」「小説類」の訳で日々を過ごせております。心の張り合いになっていることと思っております。点訳グループ仲間の皆さんの協力のしあいでやれています。仲間を増やして参りたいものと、紹介させて頂きます。

  2. 今日12月17日の朝日新聞の投稿欄に「加害者としての位置から」の戦争「日清戦争と台湾」を捉える「台湾問題」への意見が載っていました。翻って思い起こすと若かった頃の「反戦活動」は、この角度、観方を欠き、自らを被害者に置いた視点での位置付けに偏っていたのではないでしょうか。「非,反核」「戦災被災」・・・仙台市の施設も「戦災復興祈念館」と被災者として捉えられてはいないでしょうか。今日対中国での政治的問題となっている動きや、参政など世論の動向をみても、反戦への意思方向が、日清戦争、満州事変などを意識の外に押し出しての「反戦平和」の我々の過去の跳ね返りのように、感じられます。「終戦の日」があって「敗戦の日」が無い。意識されないように流れて来たことを、今日の「台湾問題」で深く考えて見なければならないと思い、新聞の投書を読みました。 迎える2026年が良い年となりますよう。

  3. 高市政権が、労働時間の「規制緩和」について発言しています。簡単に言えば「働きすぎを抑制する」ことを否定する「環境」をつくろうという、政策が必要だということのようです。率直にとらえると「労組」の存在が、生産性を上げることの「障害」だという捉え方でしょう。労組、連合の受け止めはどうなっているのでしょうか。

  4. NTT労組新聞 2025/10/4 982号の「主張」欄を読んだら、「労働基準法制」見直し論議のタイトルで「過半数代表者」の適正な選出や労働者代表としての役割強化などが論点の一つとなっている・・云々とあり、労組の組織率低下云々に続いて使用者側の「労働組合以外の新たな集団的労使関係の形を検討すべき」との主張には強烈な違和感を覚える・・・・云々と述べられていた。現状NTT関連の組織の中での組織率はどうなっているんだろうか。退職者の会の加入率はどうなっているのだろうか。共済生協への参加状況はどうなんだろうか。自身は「先が短いと思っているが」まだまだ長生きされるだろう、皆さんにとって、組織にとって大きな問題と思われる。組織的にすこし「砕いて」現状と展望を示してほしいと思う。

  5. 明日9月2日は、「敗戦の日」です。米軍艦「ミズーリ号」艦上で「敗戦しました」って「調印」した日です。日本国内では8月15日を「終戦の日」と「敗戦」では無く「終戦」と、それまで嘘でごまかしごまかし、その延長線上で「戦争はヤーメたって,、日」にしました。国民学校2年生の僕は「何が何だかわからず」祖父の家の庭でセジオを聴いていました。同級生など何人も父や兄などを失なっていました。菅原広、隆、直君ら兄弟。渡部元くんら・・・・どう生きて来たのか。苦労しただろう。・・・・・60年安保、70年安保と重ねて「戦争」というものを、間接的ではありましたが、視て考えて、どうしたら・・・と労組活動を通してですが、体験してきました。今、『「戦後」の終焉』という本、「聖書の同盟」という本、の点訳をしていて改めて、戦争をなくすためには・・・と考えさせられています。労組活動で考えさせられた「思い」が薄れないように。 9月2日という日が本当の意味での「終戦の日」となりますように。

  6. 間もなく「敗戦の日」ですね。改めて「村山談話」を読んで見ようではありませんか。次の「アドレス」で開いて見てください。
    https://www.awf.or.jp/6/statement-04.html

    「参政党」なる連中が「核を持て」などと叫んでいるとか、改めて「反戦」の意識、確認、理解をと思い 探してみました。
    どうぞ御覧ください。               髙橋 正幸

  7. また、正幸かと言われそうですが、今日は「広島原爆の日」テレビ中継を見ながら、思い出しています。昭和35年 ? 山形通信部にいた頃の夏に、労組活動の「平和行進」に指名参加で、秋田県境及位峠から金山,新庄、清川と「青森から東京までの行進者、厚綿さん(その弟さんが富沢に住んでいる)に同伴して一泊二日、歩いたことがあった。暑い中を黙々とただ歩いた。思い返すと、これが労組活動、青年活動に加わるきっかけだった。昭和50年代にも「反戦平和の活動」があったが、こんな活動も含めて「社会的活動、運動
    」はどこに行ったんだろうか。必需品のように「選挙活動」は少なくともやられてはいるが、「参政党」のようなもの 主張が出てくる社会的土壌が出来上がってきているのではなかろうか。じいさまの繰り言だと言われそうだな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です