NTT労組新聞 2025/10/4 982号の「主張」欄を読んだら、「労働基準法制」見直し論議のタイトルで「過半数代表者」の適正な選出や労働者代表としての役割強化などが論点の一つとなっている・・云々とあり、労組の組織率低下云々に続いて使用者側の「労働組合以外の新たな集団的労使関係の形を検討すべき」との主張には強烈な違和感を覚える・・・・云々と述べられていた。現状NTT関連の組織の中での組織率はどうなっているんだろうか。退職者の会の加入率はどうなっているのだろうか。共済生協への参加状況はどうなんだろうか。自身は「先が短いと思っているが」まだまだ長生きされるだろう、皆さんにとって、組織にとって大きな問題と思われる。組織的にすこし「砕いて」現状と展望を示してほしいと思う。
明日9月2日は、「敗戦の日」です。米軍艦「ミズーリ号」艦上で「敗戦しました」って「調印」した日です。日本国内では8月15日を「終戦の日」と「敗戦」では無く「終戦」と、それまで嘘でごまかしごまかし、その延長線上で「戦争はヤーメたって,、日」にしました。国民学校2年生の僕は「何が何だかわからず」祖父の家の庭でセジオを聴いていました。同級生など何人も父や兄などを失なっていました。菅原広、隆、直君ら兄弟。渡部元くんら・・・・どう生きて来たのか。苦労しただろう。・・・・・60年安保、70年安保と重ねて「戦争」というものを、間接的ではありましたが、視て考えて、どうしたら・・・と労組活動を通してですが、体験してきました。今、『「戦後」の終焉』という本、「聖書の同盟」という本、の点訳をしていて改めて、戦争をなくすためには・・・と考えさせられています。労組活動で考えさせられた「思い」が薄れないように。 9月2日という日が本当の意味での「終戦の日」となりますように。
間もなく「敗戦の日」ですね。改めて「村山談話」を読んで見ようではありませんか。次の「アドレス」で開いて見てください。 https://www.awf.or.jp/6/statement-04.html 「参政党」なる連中が「核を持て」などと叫んでいるとか、改めて「反戦」の意識、確認、理解をと思い 探してみました。 どうぞ御覧ください。 髙橋 正幸
また、正幸かと言われそうですが、今日は「広島原爆の日」テレビ中継を見ながら、思い出しています。昭和35年 ? 山形通信部にいた頃の夏に、労組活動の「平和行進」に指名参加で、秋田県境及位峠から金山,新庄、清川と「青森から東京までの行進者、厚綿さん(その弟さんが富沢に住んでいる)に同伴して一泊二日、歩いたことがあった。暑い中を黙々とただ歩いた。思い返すと、これが労組活動、青年活動に加わるきっかけだった。昭和50年代にも「反戦平和の活動」があったが、こんな活動も含めて「社会的活動、運動 」はどこに行ったんだろうか。必需品のように「選挙活動」は少なくともやられてはいるが、「参政党」のようなもの 主張が出てくる社会的土壌が出来上がってきているのではなかろうか。じいさまの繰り言だと言われそうだな。
NTT労組新聞 2025/10/4 982号の「主張」欄を読んだら、「労働基準法制」見直し論議のタイトルで「過半数代表者」の適正な選出や労働者代表としての役割強化などが論点の一つとなっている・・云々とあり、労組の組織率低下云々に続いて使用者側の「労働組合以外の新たな集団的労使関係の形を検討すべき」との主張には強烈な違和感を覚える・・・・云々と述べられていた。現状NTT関連の組織の中での組織率はどうなっているんだろうか。退職者の会の加入率はどうなっているのだろうか。共済生協への参加状況はどうなんだろうか。自身は「先が短いと思っているが」まだまだ長生きされるだろう、皆さんにとって、組織にとって大きな問題と思われる。組織的にすこし「砕いて」現状と展望を示してほしいと思う。
明日9月2日は、「敗戦の日」です。米軍艦「ミズーリ号」艦上で「敗戦しました」って「調印」した日です。日本国内では8月15日を「終戦の日」と「敗戦」では無く「終戦」と、それまで嘘でごまかしごまかし、その延長線上で「戦争はヤーメたって,、日」にしました。国民学校2年生の僕は「何が何だかわからず」祖父の家の庭でセジオを聴いていました。同級生など何人も父や兄などを失なっていました。菅原広、隆、直君ら兄弟。渡部元くんら・・・・どう生きて来たのか。苦労しただろう。・・・・・60年安保、70年安保と重ねて「戦争」というものを、間接的ではありましたが、視て考えて、どうしたら・・・と労組活動を通してですが、体験してきました。今、『「戦後」の終焉』という本、「聖書の同盟」という本、の点訳をしていて改めて、戦争をなくすためには・・・と考えさせられています。労組活動で考えさせられた「思い」が薄れないように。 9月2日という日が本当の意味での「終戦の日」となりますように。
間もなく「敗戦の日」ですね。改めて「村山談話」を読んで見ようではありませんか。次の「アドレス」で開いて見てください。
https://www.awf.or.jp/6/statement-04.html
「参政党」なる連中が「核を持て」などと叫んでいるとか、改めて「反戦」の意識、確認、理解をと思い 探してみました。
どうぞ御覧ください。 髙橋 正幸
また、正幸かと言われそうですが、今日は「広島原爆の日」テレビ中継を見ながら、思い出しています。昭和35年 ? 山形通信部にいた頃の夏に、労組活動の「平和行進」に指名参加で、秋田県境及位峠から金山,新庄、清川と「青森から東京までの行進者、厚綿さん(その弟さんが富沢に住んでいる)に同伴して一泊二日、歩いたことがあった。暑い中を黙々とただ歩いた。思い返すと、これが労組活動、青年活動に加わるきっかけだった。昭和50年代にも「反戦平和の活動」があったが、こんな活動も含めて「社会的活動、運動
」はどこに行ったんだろうか。必需品のように「選挙活動」は少なくともやられてはいるが、「参政党」のようなもの 主張が出てくる社会的土壌が出来上がってきているのではなかろうか。じいさまの繰り言だと言われそうだな。